<昭和20年(1945)6月〜8月> ・御前会議で“徹底抗戦”を決定 ・日本がソ連を仲介とする和平交渉を開始 ・アメリカが広島・長崎に原爆を投下 ・ソ連が対日参戦・満洲帝国に侵攻 ・御前会議で ポツダム宣言受諾を決定 <内容> 昭和20年5月にはドイツが降伏し連合国と戦う国が日本のみとなり、沖縄戦は敗色濃厚で本土決戦が迫っていた。そんな中、日本は中立条約を結ぶソ連を仲介とする和平交渉を進めることを決定。近衛文麿元総理を特使として派遣することをソ連に打診し、その回答を待った。一方、連合国は、昭和20年7月26日にはポツダム宣言を発表し日本に無条件降伏を勧告。しかし、ソ連の回答を待つ日本の鈴木貫太郎総理は、ポツダム宣言を“黙殺”と発表してしまう。すると、8月6日、アメリカが広島に原爆を投下。さらに8月9日には、和平交渉の仲介を期待したソ連が中立条約を破り満洲帝国に侵攻。ここで日本の首脳陣は、ポツダム宣言受諾の方向は決定する。しかし、ポツダム宣言受諾の条件について、国体の護持(天皇制維持)一つとすべきとする東郷茂徳外務大臣ら和平派と、昭和天皇を守るためにはさらに条件が必要とする阿南惟幾陸軍大臣ら強硬派の二つに分裂する。